カンボジアの地雷原で地雷を除去し、
そこを、天然のわた畑にして、
そのわたで、手紡ぎ糸や手作りの製品を作ります。
活動の担い手は、地雷被害者のみなさんです。
地雷原という憎しみと分断のシンボルを、
天然の綿畑という、自然と人と人との共生のシンボルに、
希望と再生のシンボルに、180度転換します。

▼このプロジェクトは、バッタンバン州ラタナクモンドル地区スダウ バダク村で、2009年からスタートしました。
バッタンバン州の地雷原の一部は、かつては綿の産地として知られていました。
しかし20年以上もの戦乱のなかで、人の寄り付くことのできない地雷原に変わってしまいました。
ひとつの出会いから、このプロジェクトは動きはじめました。
トーンさんソピエプさん夫妻との出会いです。
内戦中、トーンさん(夫)は、兵士として前線に送られ、地雷で左足を失いました。ソピエプさん(妻)は、隣国のタイに逃れようとして、国境近くで地雷を踏み、右足を失いました。その後、ふたりは、リハビリセンターで知り合い、結婚しました。
ふたりはいつも、同じサンダルの右と左をわかちあって使います。
その後、ふたりの子どもに恵まれ、家族で新しい生活を切り開こうとしました。その矢先、家の裏の畑で、トーンさんと弟さんの乗っていたトラクターが対戦車地雷で爆破され、弟さんが即死、トーンさんも重傷を負いました。夫婦は、絶望の底に落とされました。
そんなときに、わたしたちは出会いました。トーンさんソピエプさんは「最後の望みを賭けて」、わたしたちと一緒に、このプロジェクトを行う決意をしました。
バダク村の4ヘクタールの土地が、わたしたちの拠点です。
CMAC (Cambodian Mine Action Centre)=カンボジア地雷対策センターが、「小さくても夢のある、地雷被害者ににとって効果的な計画だ」と、わたしたちの活動に賛同してくれました。
2009年6月、CMACの地雷除去チームが、地雷探知犬も駆使して、およそ一ヶ月かけて地雷除去確認を行いました。
安全な土地としてCMACに保証されたこの4ヘクタールで、2009年7月に、トーンさんと地雷被害者の仲間たちで種まきを行いました。そして、2009年12月から2010年1月にかけて、初の綿花の収穫が行われました。
地雷被害者家族のための「もめんの手紡ぎ糸ワークショップ」もあわせて開きます。(おばあさんの魔法の手 蘇る糸紡ぎ参照)
トーンさんソピエプさん夫妻は、カンダール州にあるわたしたちのワークショップに2週間泊まり込み、糸紡ぎの研修を受けました。ふたりは必死でした。どんどん技術が上達し、1か月後には、バダク村の家で、他の地雷被害者家族のひとたちに、糸紡ぎを指導できるようになりました。いつしか、トーンさんの小さな家は、地雷被害者のひとたちを中心にしたワークショップとなっていきました。
「地雷で足を失った者の絶望は、被害者じゃないとわかりあえない。仲間同士で助け合って、このプロジェクトを発展させたい。研修で十を覚えたことを、自分たちで応用して十二にしていく。そうやってがんばって、少しでも生活をよくしたい。子どもたちのためにも」と、トーンさんは話しています。
糸紡ぎは地雷被害者に適した技能だと言えます。家族で綿を育て、糸を紡ぐ......栽培から、さらに付加価値をつけた製品作りまでを一環して行うことで、地雷被害者家族の経済的自立と安定が可能になります。
トーンさんと仲間たちの紡ぐ糸は、その人柄を映し出し、とても繊細で柔らかく、手に取れば、きっと、深い優しさを肌で感じることでしょう。
ソピエプさんたちは、これから手ばた織りにも挑戦する予定です。
地雷原の仲間たちの活動を、応援してください。

▼カンボジアでは、1960年代のベトナム戦争時代から、ポル・ポト政権を経て、1992年の和平実現までの間に、400万─600万個の地雷が埋められたといわれています。国の面積に対する地雷の割合は世界で最も多いとされています。
人々が暮らす生活の場のすぐ近くに地雷が埋まっていることも、カンボジアの特徴です。このため、人口あたりの被害者の率も、とても高いものとなっています。
最近では、特に貧しい人たちが、地雷原地域に流れ着くように住み、地雷の被害にあうケースが増えています。
カンボジアの地雷除去では、日本が最大の援助国として重要な役割を果たしています。機械も日本の地雷処理機が使われています。
地雷の除去が進むにつれ、処理した後の土地を、地域のひとたちの持続的な発展のためにどうやって有効に使うのか、ポスト・デマイニング(地雷除去後の時期)の段階を考える時期にきています。